
今回は、HiFiオーディオの音質を設計した開発者 熊澤さんにお越しいただきお話を伺った。インタビュアーは、新旧ヤマハ製品に造詣深いオーディオ評論家 三浦孝仁さん。歴史を感じさせる日本家屋にて、ベテラン技師から受け継がれたノウハウ、音づくりの方向性など、熊澤さんの人となりとともに、これまで語られてこなかったエピソードが明らかにされる。
ベテランが退職する前に、若手へ技術を継承させる目的もありました
三浦孝仁(以下、三浦) ヤマハのHiFiオーディオ復活の旗手をつとめたのが、プリメインアンプA-S2000とSACD/CDプレーヤーCD-S2000。これらS2000シリーズは、20万円クラスにもかかわらず、アナログの完全バランス回路を搭載しています。ここまで本腰を入れて、HiFiオーディオへ戻ってきたのには、何か理由があるのでしょうか?
熊澤進(以下、熊澤) HiFiオーディオの市場は、90年代に一度シュリンクしましたが、それでも未だ根強いファンがいます。とくにヨーロッパでは、AV機器よりHiFiオーディオの愛好家が増えてきており、Soavoを発売したときに、お客様からSoavoと組み合せるアンプやプレーヤーはないの? という声をたくさんいただきました。また、AVセンターの設計者のなかには、私も含めHiFiオーディオが好きな技術者がたくさんいます。そこで、昔のヤマハのHiFiを設計していたベテランと、学生時代にこの世界に憧れた若手で有志を集い、数名のスタッフからプロジェクトというカタチで立ち上げることになりました。今では、HiFiグループに昇格して、スタッフの数も増えています。
三浦 開発は、アンプとプレーヤーのどちらから先に進められましたか?
熊澤 同時ですね。今回は、ベテラン技術者が退職する前に、若手に技術を継承するという別の目的もありました。例えば、フォノイコライザーのS/Nを測定するやり方などは、デジタルオーディオ時代に育った若手技術者にとって未知の領域です。入力感度が高いので、そのまま繋いだだけでは、測定器をのせた机からの微小な振動や電気的な誘導の影響を受けてしまいます。レコードプレーヤー全盛時代を生きた彼らの指導があってこそ、A-S2000のフォノイコライザー回路が完成したのです。
三浦 確かに、A-S2000のフォノイコライザー回路は、単品で発売してもいいくらいの出来に仕上がりましたね。あとは、往年のレコードプレーヤーGT-2000があれば、文句なしなのですが(笑)。
熊澤 ぜひGT-2000に匹敵する新しいレコードプレーヤーをつくりたいですね。A-S2000に搭載したフォノイコライザーは、同じ価格帯で、ぜったい他社に負けない自信がありますから。
三浦 時期的にも、ベテラン勢が残っていたのは大きかったと思います。筐体と設置面との接地ひとつをとっても、こだわりが見て取れますし。
熊澤 はい。レッグ部分をマグネットによる脱着式にしたのも、CDプレーヤーGT-CD1の設計者がいてくれたからできたことです。


今はもう、退社してしまいましたが、CD-S2000の足には、彼が考案したGT-CD1と同じ手法が用いられています。
三浦 熊澤さんご自身も、プロジェクトに参加する前は、AVセンターを設計していましたね。その時のノウハウがHiFiの仕事で活かされたりしましたか?
熊澤 ひとつの筐体に多くの回路が詰め込まれているAVセンターの方が、HiFiオーディオより反って制約が厳しいので、そこから手を付けた分、回路の追込み方やグラウンドの取り方など、音質設計のスペシャリストとして重要なテクニックをたくさん学びました。それは、はじめからHiFiオーディオをやっていたら、わからなかったことだと思います。意識面だけでなく、技術的にも鍛えられ、また、個々のノウハウも蓄積できましたので…例えば、CD-S2000のDAC回路には、AVセンターと同様にバーブラウンブランドのDACが採用されているのですが、この部分には、AVセンターで学んだノウハウと、そこではできなかった贅沢な使いこなしが盛り込まれています。DACそのものも、同シリーズで、よりグレードの高いパーツが奢られています。
三浦 天板を開けてみると、プリ部が端子のそばにあって、余裕のあるスペースにパワー部や電源部が収まっています。内部構造がひじょうによく練られていますね。筐体の造りにも精密感があって、CA-1000の影響を受けている感じがします。フロントパネルのデザインには、何種類か案が出ましたか?
熊澤 いくつかありましたが、どれもツマミを使うという点で共通していました。事前に、秋葉原のオーディオ店をデザイナーと一緒に調査したのですが、フロントパネルのデザインはボタンで操作するシンメトリーなものが大半を占めていました。そこでわれわれは、オリジナリティを出すためにも、アシンメトリーなデザインを選び、ツマミを触る楽しさを訴求していこうと考えました。
三浦 もっと今風のデザインはなかったんですか?
熊澤 今と大きく違うデザインはありませんでした。設計者とデザイナーが、同じモノを見てその場でアイデアを出し合って決めたので、両者が納得のいくデザインに仕上がったと思います。
三浦 もうピラミッドデザインはやらないんですか?
熊澤 さすがに、今それをやるのは冒険ですね(笑)。ただヤマハは、昔から、音にもデザインにもチャレンジングだし、それができるメーカーだと思います。
本体カラーは8対2でシルバーが人気です。僕もシルバーの方が気に入っています
三浦 カラーは、黒とシルバーがありますが、シルバーの方が人気がありますか?
熊澤 8対2の割合で、シルバーが人気です。僕もシルバーの方が気に入っています。
三浦 僕は、ブラックが好きなんですよね。HiFiのアンプやプレーヤーでも筐体の塗装で音は違いますか?
熊澤 違いますね。シルバーは、ブラック同様、ソリッドな音傾向ですが、最後に余韻のようなものが感じられます。また、サイドウッドの塗料などによっても、音は変ってきます。
三浦 S700シリーズは、サイドウッドがついていませんよね。
熊澤 はい。S2000、S1000シリーズでは、サイドウッドをつけることで、天板の鳴きが抑えられているはずです。また、サイドウッドの違いは、プレーヤーの方が、はっきりと表れます。ちなみに、S700シリーズではトップカバーの裏にダンパーを張って鳴きを制御しています。
三浦 昔、AVセンターにもサイドウッドがついていましたが、復活する予定はないのですか?
熊澤 サイドウッドを取り付けると、その分、なかの容積が削られてしまいます。映像回路やパワーアンプの数が増えた現代AVセンターで、それが許されるかというと、難しいかもしれませんね。HiFiでは、機器そのものが持つ質感にも注意を払う必要がありますが、AVセンターではむしろ機能面にコストを割いた方が、お客様のベネフィットが大きいと考えています。実は、高級AVセンターと筐体を同じにした方が、コストが下がるのではないかという話もあったのですが、われわれは断固として拒否しました。ボトムシャーシを同じにしてしまうと


どうしてもAVセンター寄りのつくりになってしまいます。ブランドイメージを保つという意味では、金型を一緒にすることが間違いではないのですが、われわれは敢えて、別の道を選択しました。
三浦 内部配線の被覆の色についてはどうですか? DSP-Z11では、統一しているという話でしたが。
熊澤 HiFiオーディオでは、S700シリーズまで黒で統一しています。
三浦 ただのBTLアンプだと誤解されがちな、フローティング&バランス・アンプについても、技術的にたいへん興味深いと感じているのですが。
熊澤 一般的なBTLだとふたつのコンプリメンタリなトランジスタ、NPN型とPNP型を使用しますが、フローティング&バランス・アンプでは、NPN型だけで回路を構成しています。部品点数が半分近くで済むという利点と、コンプリメンタリなものがないトランジスタでも、バランス回路が組めるというメリットがあります。また、コンプリメンタリと言っても、実際にはNPN型とPNP型は完全に同じではありません。フローティング&バランス・アンプでは、入力からスピーカー出力まですべて同じ部品でスピーカーのプラス側とマイナス側を駆動できます。
三浦 その効果によるものかどうかはわかりませんが、以前、ステレオサウンドの試聴室で、同価格帯の比較試聴をしたところ、音量を落した時でも表現力が失われず、ローレベルでも演奏者の姿が克明に描き出された点に驚かされました。
熊澤 フローティング&バランス・アンプは、次々回に登場予定の回路技術者 野呂の発明です。より突っ込んだ内容は、「第6回 ヤマハAV機器事業部の発明家篇」で登場する野呂が、直接語ってくれるはずです。
表現者としての部分を忘れずに、音づくりをしていきたいと思っています
三浦 熊澤さん自身のことについても、お聞かせください。オーディオはいつ頃から好きになったのですか?
熊澤 単品コンポーネントで買い始めたのは、高校の頃ですね。はじめに購入したのが、ちょうどCDが出始めた時期で、ケンウッドのCDプレーヤーを既存のミニコンポに繋いで聴いていました。一度に、すべては集められなかったので、大学に入りバイトなどでお金に余裕が出てきてから、マランツのPM88aSEというアンプを購入しました。サンスイのアンプも欲しかったのですが、最終的に音を聴かせてもらって……PM88aSEは、トーンコントロールなど余分な回路が一切入っていなくて、それが反って潔いと感じました。最初のスピーカーは、ダイヤトーンのDS-700Zです。ほか、アイワの高級ブランドEXCELIAのカセットデッキを愛用していました。
三浦 国産ブランド中心ですね。今のところヤマハの「ヤ」の字も出てきませんが(笑)。
熊澤 スピーカーは、当時、海外ブランドのJBLがどうしても欲しくて、DS-700Zのあと、4312という製品を購入しました。今でも愛用しています。ヤマハ製品を初めて買ったのは、AVセンターDSP-AX2ですね。そのあとは、定番ですが、CDプレーヤーをデノンのDCD-1650に買い替えたりして……アンプは今、A-S2000を自分なりにチューニングして使っています。
三浦 自分でチューニングすると、音はかなり変りますか?
熊澤 変りますね。抵抗のグレードを上げたり、基板間を繋ぐ内部配線を贅沢なものにしてやるだけでも、音が柔らかくしなやかになります。電源ケーブルは、高いものですとゾノトーン、安いものですとサエクが好みです。
三浦 ご自身の音楽や音の好みが、製品に反映されることはありますか?
熊澤 音質のベースの部分は、クリアしていかなければならない課題があるのですが、


音楽的な聴かせ方の部分は、自分の表現したいもの、好みが影響してきますね。私は、HiFiオーディオとAVセンターの両方に興味があったので、ヤマハに入社しました。初仕事は、AVセンターDSP-AZ2のDSP基板を担当したのですが、その後、第1回のインタビューに登場した加納が、音質調整を一緒にやらないかと誘ってくれて、そこから本格的に音づくりをはじめました。今回は、昔から好きだったHiFiオーディオの音質設計に携わることができましたが、これからも、しっかりとした技術のうえに表現の部分をのせていきたい、表現者としての部分を忘れずに音づくりをしていきたいと思っています。
三浦 具体的には、どんな音楽、音が好きですか?
熊澤 昔は、ハードロックが好きだったんですよ。レッド・ツェッペリンとか、ディープ・パープルとか。キッカケは、兄の部屋でディープ・パープルの「インロック」という1970年のアルバムを聴いたのが始まりですね。そのあと、大学に入ってからは、ブルースやソウルに目覚めて…。
三浦 いきなり渋くなりましたね(笑)
熊澤 私は趣味でギターを演奏するのですが、ハードロックの速弾きが、どう練習してもうまく弾けなかったんですよ(笑)。
三浦 で、味の世界に行ったんですね。
熊澤 そうです。ブルースは音数こそ少ないですが、表現の多彩さに惹かれました。その影響もあって、この仕事についてから音を聴く時も、黒人音楽のグルーヴ感、ハイハットのシャッフルの雰囲気、バスドラムの位置表現やアタック感といったものが、きちんと表現されていないとGOサインは出せないですね。
三浦 かなり硬派ですよね。
熊澤 はい。ですので、私の場合、アイドルなどは通過していないんですよ(笑)。基本的にはモニター系の音が好きで、昔から男くさい音楽を好んで聴いていました。
MOSFETを使ったフローティング&バランス・アンプという未来像
三浦 音決めに使っていた機材は何ですか?
熊澤 スピーカーは、B&Wの802Dです。また、プレーヤーやアンプは、単体でも勝負できるものにしたいというコンセプトで作っていますので、アキュフェーズやヨーロッパ仕様のマランツ製品を、組み合せて評価しました。また、オーディオ評論家のお宅にお邪魔させていただき、評論家の方々が使っていらっしゃるリファレンスモデルとも組み合せました。先生方も、AVセンターを聴く時とは、評価の仕方が全然違うんですよね。最初は、ボロクソに言われたりもしていたんですが。
三浦 もちろん、AVセンターとは違いますよ(笑)。Soavoとは、組み合せなかったのですか?
熊澤 組み合せましたよ。音決めをする時は、AVセンターとHiFiコンポーネントは同じスタジオを、スピーカーは別のスタジオを使うのですが、その両方で試聴しました。また、アンプやプレーヤーは、どんなスピーカーに繋げられるかわからないものなので、なるべくニュートラルかつデットな部屋で、モニター系のスピーカーを使って評価します。一方、スピーカーのような、音場感や響きなどが加わることで、魅力が引き出されるものについては、もう少しライブな環境下で評価しています。スピーカー部門の開発者とは、お互いに意見を言い合うこともあります。
三浦 スピーカーの担当者から、S2000シリーズについては、どんな意見が出ましたか?
熊澤 私たちは、すべての音情報を出し切って、その上に音楽性をのせていくのですが、そのベースとなる音が固いと言われました。ただ、私の意見としては、どんな音でも芯の部分、コアがしっかりしていないと駄目だと思っていまして、音のポジションがわかってはじめて、空間のハーモニーが表現できるのではないかと考えています。ただ、これをあまり意識しすぎるとガチガチの音になってしまうので、ソフトに出すべきところはソフトに出すようにしています。
三浦 音を丸くするだけならカンタンなんですけど、固い音を固く、柔らかい音を柔らかく出すというのは、たいへん難しいことです。最近の製品を聴いていると、色々な音のなかで「暗い音」の表現が、一番難しいのではないでしょうか。単純に低い音、重い音を出すのはカンタンなのですが。
熊澤 私が一番出したい低音も、ただ重苦しいだけではなくて、もっと小気味よさがあるといいますか、


レスポンスのよさを持たせたいのです。重さだけでは、暗さが出ませんので。
三浦 暗い音があるから明るい音とのコントラストが出てきます。なんでもかんでも明るい音だと、能天気な音になってしまって、人を感動させられません。それは、S2000シリーズで培った技術をベースにして、さらに上のモデル、ヤマハのリファレンスと呼べるようなセパレートアンプをつくる時にも、ぜひ目指してほしいですね!
熊澤 個人的には、出したい音、目指したい音を考えると、セパレートアンプに挑戦したいという気持ちを強く持っています。一昨年、S2000シリーズをリリースして、技術陣には、その頃から下位モデルを造りますという話があったのですが、一方、専門店さんからはS2000シリーズの上のモデルが欲しいという声をずっといただいております。リファレンスモデルがあって、その下にS2000シリーズがあるならよいのですが、S2000シリーズがトップモデルだと言われてしまうと、専門店としてお客様にご案内しにくいと。
三浦 S2000シリーズとS1000シリーズでは、どちらが売れているのですか?
熊澤 S2000シリーズですね。S1000シリーズは、コストパフォーマンスが高いので、お客様にとってもお買い得な感じはしますが。
三浦 価格として5万円くらいの差なら、昔からのヤマハのファンは、今楽しめる一番いいヤマハの音を聴きたいのだと思います。さきほど話に挙がったフローティング&バランス・アンプも、贅沢な物量を投入して、さらに音を磨き上げれば、きっと日本のHiFiオーディオアンプを背負ってたつような代表作が造れるのではないでしょうか。
熊澤 同じ極性のトランジスタで出力できるということは、MOSFETを同じ極性で使うことができるということなんですよね。MOSFETでは、とくにP型チャンネルとN型チャンネルで完全に構造が変ってしまうので、フローティング&バランス・アンプの回路構成がさらに活きてくると思います。ハイエンド方向にもっていける回路構成であるという点においても、将来性がある回路だと自負しています。
三浦 ぜひ、セパレートアンプを期待しています。今日は、どうもありがとうございました。
熊澤 ありがとうございました。
インタビュアー オーディオ評論家 三浦孝仁
フォト 河野隆行
撮影協力 スタジオ目黒ハウス:東京都品川区大崎2-8-20
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次回予告:第5回 YSP 開発篇 村田守啓さん × 藤原陽祐さん 2009年10月1日 掲載予定
















