転機は環八に落ちていた

Personal True Story 連載「転機は今」第1回 オーディオビジュアル評論家小原由夫

月刊HiViやHiVi WEBは個性豊かな筆者のみなさんに支えられている。そんなライターの方々が実践するオーディオビジュアル・ライフスタイルも実にさまざまだ。この連載では、今のスタイルにたどりつく道を振り返ったとき、あれが転機だったと思える出来事について書いていただこうと思う。なぜサウンドスクリーンを使うのか? センタースピーカーを置かない理由、スクリーンサイズへのこだわりなど。そこには、長年にわたって映画、そして音楽のハイクォリティなリプロデュースに対して真摯に取り組んできた先達のフィロソフィがあるはずだ。今回、そんな連載のトップバッターとしてご指名させていただいたのは小原由夫さんである。

それは必然の出来事だったのだ
 このことは、親しいごく一部の人にしかこれまで話さなかったし、自分としては恥ずかしく、また不愉快な部分もあるのだが、僭越ながら新連載初回のご指名を機に、ここにこうして書き記すことで以後封印しようと思っている。結局言いたいことは、世の中「一寸先は闇」ということは身を以て確かと言えるが、その場ではネガティブに捉えていた事象がまさしく大きな転換期となり、思い返せばむしろポジティブに作用したように思えることもある、ということ。それは偶然でも、突発的なことでもなく、必然の出来事だったのだと考えれば、前向きに生きられる。僕は極力そう考えるよう努めている。

 僕が社会人になった87年と現在とは大違いで、僕が卒業した理工系大学には、一人当たり20社以上の求人がきていた。完全な売り手市場である。よほどの選り好みさえしなければ、行きたい会社や職種はいくらでも見つけられた時代だった。当時から僕はオーディオ&ビジュアル(AV)が好きだったわけだが、AVは趣味として取っておき、他の分野のエンジニアを目指そうと考え、社員150人程度 の測定器メーカーを志望した。AVメーカーを選ばなかったのは、仕事がイヤになった時、趣味も楽しめなくなってしまうのではないかという懸念からだ。
 1ヵ月ほどの研修期間を経て、僕は希望通りの開発部署に配属された。だが、仕事の難しさと人間関係ですぐに息詰まってしまった(詳細は割愛させていただく)。2年余りその部署で何とか頑張った後、異動願いが通って営業部に移った。先輩社員にくっついて都内の客先を測定器のプロモーションとセールスに出掛ける毎日だった。

仕事と趣味が一致した喜び

 事件は異動から3ヵ月も経たず起こった。環状8号線の下丸子付近だったと思う。信号待ちで停車していた僕の営業車の後ろから、ブレーキ操作を誤ったセダンが突っ込んできたのだ。押される形になった当方の車両は、前のトラックの荷台の下に押し込まれた。後にも先にも、あんなに強い衝撃を受けたことはない。冗談でなく、目から火花が出た。
 幸い命に別状はなかったが、以来しばらく鞭打ち症に悩まされ、当面休職することとなった。少し体調がよくなったように感じて出社しても、すぐに疲れが溜まり、3日と続かない。その繰り返しで休みがちになった。公傷とはいえ、20代半ばにしての大幅な勤労意欲の減退に、極度の自己嫌悪に陥った。

 自宅で悶々としていた時期、大学時代の先輩から電話があった。「新しいAV誌を立ち上げるんだけれど、一緒にやらないか」。先輩はオーディオ誌の副編集長で、僕はその出版社に学生時代からちょこちょこ出入りさせてもらっていた。聞けば、HiViに対抗する技術指向の月刊誌を創刊するという。
 仕事と趣味を一緒にすると…という不安が脳裏をよぎったが、僕は思い切った。新しい職場での雑誌編集の仕事は、何事も新鮮で、体調も次第に回復していった。楽しんで仕事している自分に気付き、仕事と趣味が一致した喜びに溢れていた。
 残念ながらその雑誌はうまくいかず、月刊化3号目にして廃刊となってしまったが、麻倉さんや潮さん、亡くなった朝沼さんとはこの時知り合い、縁あっていま僕はこうしてHiViの執筆陣に加えてもらっている。
 もしもあの時事故に遭っていなかったら、もしも雑誌が成功していたら、小原由夫は今日と違う人生を確実に歩んでいただろう。そう思うとちょっと怖くなるのだが、いま充実した日々を過ごせているのだから、あまり深く考えないようにしている。

(小原由夫)

小原由夫がHiVi編集部に来た日を忘れない
 測定器メーカーからAV雑誌の編集者へ。そして、小原さんはライターとして月刊HiVi編集部へやってきた。それがいつだったかは記憶にないが、まだ外苑東通りに面した雑居ビルの6階にあったHiVi編集部へ、小原さんがはじめて顔を見せた日のことをボクは今でもよく覚えている。今と違って、パンチパーマ風というか、とにかくポマードピカピカ短髪の小原さん(年齢不詳)は、当時の編集長との面談に、ひどく自信なさげに応じていた。それから少しして、小原さんはHiViに参加するようになる。1992年9月号では、当時、普及が始まっていたブラウン管ワイドビジョン(懐)の使い方をテーマにした鼎談視聴に参加している。また翌'93年4月号では、のちの小原人気を決定づけることになる連載「小原由夫のAV奮闘記」がスタートしている(右上の写真)。この連載は、読者と同じ目線で、趣味のオーディオビジュアル再生に関する悩みや疑問を体当たりにて解決していくというもので、以後「続・AV奮闘記」、「新・AV奮闘記」として、掲載が継続されることになる。小原さんがこのころ奮闘していた自宅のAVルームは、およそ10畳の専用室で、崖っぷちの住宅の床下に増築したスペースだった(後にそこは活断層の真上だったことが判明)。はじめてお邪魔し、トイレを拝借したときの驚きはたぶん一生わすれないだろう。ボクは心のなかでつぶやいた、「ここは忍者屋敷か?」 さて、その後の小原さんの活躍はもうみなさんもご存知のところ。 近年、崖っぷちのオーディオルームは、ところを変えて200インチの巨大スクリーンを備えるシアターとなった。まもなくあれから17年になる。小原さんはこれからどこへいくのだろう。
(元月刊HiVi編集部 K = HiVI WEB 木村雅樹)
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